なぜ、英彦山山伏に柚子胡椒が作れたのか?

英彦山の山伏は、激しい修行で学んだ加持祈祷や秘伝の薬を調合して、病気を治し、元気を与えていました。
また、参詣者を宿坊(山伏の住まい)に泊めて料理を工夫し、歓迎していました。

九州各地、中国、四国の西部まで、布教をしていました。
特に佐賀藩主鍋島氏は戦国時代より、英彦山信仰が厚くいまでも佐賀、長崎の肥前地方には、英彦山神宮の分霊の分社が多く存在しています。

柚子胡椒の原料である柚は、仏教とともに伝来し
漢方薬や観賞用として栽培されました。

こしょう(唐辛子)は、江戸時代、出島に入ってきて長崎に出入りしていた英彦山山伏が、持ち帰り製薬の技術を持って、柚子胡椒を作ったと考えられます。

山伏の時代には、食品というより健康食品に近かったのでしょう。

英彦山では、昔から赤い唐辛子と黄色の柚で作られていました。

創業者 林光美は、香辛料として販売するには
新鮮な緑色が好ましいと原料を見直し黄色になる前の青い柚と青い唐辛子を使ったのが

「柚乃香」です。