筑豊、炭坑節のおはなし

今回は筑豊のおはなしです。
九州、筑豊地方にはかつて、大小合わせて233もの炭鉱があり、明治、大正、昭和と石炭を八億トンをも産出し、炭鉱ブームにわいたのです。
五木寛之先生の「青春の門」の舞台ともなりました。
そして、この有名な歌が生まれました。

竪抗撰炭節

月が出た出た 月が出た
伊田の炭鉱の上に出た。
あんまり煙突が高いので
さぞやお月さん煙たかろ サノヨイヨイ

数ある炭坑節の中で、最も歌い継がれているこの歌は、田川郡、伊田村(現、田川市)出身の小野芳香により、明治43年につくられました。
撰炭婦(石炭とボタを区別する仕事婦)に流行、大正2.3年ころに盛んに歌われました。
“伊田の炭鉱”を“三井炭鉱”“三池炭鉱(福岡県大牟田市)”“うちのおヤマ”または自分の炭鉱の名をいれて、各地で愛され歌われました。
実は2番があり、次の通りです。
香春岳から見降ろせば伊田の竪抗が真正面
十二時降りのサマちゃんがケージもたれて思案顔 サノヨイヨイ

  • 香春岳・・・田川にある有名な山岳 セメントの材料が採れる
  • 伊田・・・炭鉱のある地名
  • 竪抗・・・人や石炭を昇降させる抗
  • ケージ・・・竪抗の昇降台
  • サマちゃん・・・恋人

筑豊のヤマ元では採掘節、選炭節など無数のヤマ唄があり、当時の様子を伝えてます。名もなき労働者たちによってヤマの地底からわき上がるようにつくられて来たことでしょう。